〈太田氏資〉三船山合戦で殿軍を務めて戦死した
永禄10年8月23日、北条軍が里見義弘に大敗した際、氏資が殿軍を務めて戦死したことは、北条氏政が戦死者遺族に送った書状など同時代史料から裏付けられる。恒岡越後守ら岩付衆重臣の多くも討死し、家臣団は大打撃を受けた。細部の描写は『関八州古戦録』等の軍記に依る。
永禄10年8月23日、北条軍が里見義弘に大敗した際、氏資が殿軍を務めて戦死したことは、北条氏政が戦死者遺族に送った書状など同時代史料から裏付けられる。恒岡越後守ら岩付衆重臣の多くも討死し、家臣団は大打撃を受けた。細部の描写は『関八州古戦録』等の軍記に依る。