〈太田氏資〉岩付城主としての統治実態

氏資名義の判物・印判状が複数現存する。永禄10年(1567)に鎌倉円覚寺塔頭・帰源庵へ比企郡内3か所の寺領を安堵し検地実施を通知した文書のほか、新田開発、職人の保護・統制、訴訟裁定、代官任命など、約3年の統治実態が一次史料で確認できる。『さいたま市史』『埼玉県史料叢書』等に収録。

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