〈北条綱成〉玉縄城主としての統治

天文11年(1542)の為昌死後に第3代玉縄城主となり、玉縄衆を率いて相模東部・三浦方面の支配と江戸湾防衛(対里見水軍)を担った。発給文書や「江島遷宮寄進注文」(1544)などから統治実態が裏付けられる。なお為昌の「養子」として継承したとする通説には黒田基樹氏が異を唱えている(諸説)。

関連

〈北条綱成〉玉縄城主としての統治 | デジタル城下町 お城図鑑